医療職者のための



危機介入の歴史



  1. 軍隊精神医学
     危機理論が理論として構築される以前に、危機に対する考え方が系統化され、方法論的な体制が整ってきたのは、第一世界大戦の頃からといわれています。戦場下という特異な危機的状況に置かれた戦士たちの精神症状(戦争神経症など)に対し、応急的・短期的な精神医学的接近が行われるようになりました。その実践は、アメリカのフランス遠征軍の精神科顧問であったサルモン(Salmon TW)に代表されますが、彼らの治療はかなり有効で、戦争神経症の60〜75%は7日以内の短期治療で通常任務に復したといいます。このときの経験から、戦場に於ける精神医療の原則として、即時(immediacy)、接近(proximity)、見通し(expectancy)の3つがあげられました。後に繋留(concurrence)と委任(commitment)が加わり、この5つの原則は、危機介入の基礎概念として発展していきました。

  2. リンデマンとキャプランの貢献
     リンデマン(Lindemann E)は、1942年のボストンで発生した、ナイトクラブの火災で死亡した493人の家族らの反応についてまとめました。この反応プロセスは、急性悲嘆反応として表現され、一連の悲嘆過程を理論化していくための基礎となりました。
     リンデマンの論文によれば、急性悲嘆反応の過程は以下のようなプロセスをたどります。第1は、身体的虚脱感を示す段階です。これは、咽頭部の緊張、呼吸促迫、深い溜息、腹部膨満感、筋の脱力が20分から1時間くらい続くというものです。第2は、「死んでしまいたい」という死のイメージを持った思いです。第3が罪悪感を覚え、第4は敵対的反応、第5は通常の行動パターンがとれなくなるというものです。さらにリンデマンは、死別された人々の悲嘆反応が遅滞するのは、その人が悲嘆作業(grief work)を適切にしたかどうかによって決まってくることを発見し、悲嘆作業が正常に進むコースについて記述しました。
     キャプラン(Caplan G)は、情緒的平衡状態は、自我機能の一つの側面によって維持されているものだとし、精神的健康状態を左右するもっとも大きな要素が、この自我の状態だと述べました。この自我の働きによって、人は絶えず均衡状態を維持しようとし、様々な問題を解決しようとしているのです。つまり、人は精神の恒常的なバランスを保つ機構を持っているので、問題に直面したときには一時的に逸脱することがあっても、やがてバランス状態に戻ります。ところが、問題が大きくそれまでの解決方法では乗り切れぬような事態に直面すると、その困難さに立ち向かうための対処技能のレパートリーとのバランスが崩れ、危機が促進されるというのです。不均衡の状態は、不安、恐怖、罪、恥、絶望などの感情を伴いながら、緊張が生じ、不快が知覚されていきます。
     以上のリンデマンの急性悲嘆反応に関する研究とキャプランの危機概念は、地域精神活動における実践を通し、予防精神医学の分野の中で発展していきました。初期の危機概念は年と共に修正され、拡大されてはいますが、リンデマンとキャプランによって示唆された考え方は、現在も受け継がれています。そして今日、危機理論といえば、この二人の人物が構築していったという認識をされるようになりました。

  3. 自殺予防運動
     地域における自殺予防運動の始まりは、1953年のイギリスにおけるサマリタン運動の創設や1958年のアメリカはロサンゼルスでの運動などがあげられます。日本でも1971年に東京でいのちの電話が開設され、全国的な電話相談として広がっていきました。
     この電話相談の利点は、時間や場所の制約を受けずに自由に利用できること、面接と違って匿名性が保持できること、無料相談であることなどがあげられます。そのため、何らかの危機を抱えた場合、比較的アクセスしやすく、その危機介入も効果的に行うことができるのです。また、非専門家のボランティアとして、いわゆる素人でも対応して働きかけが可能であることもその有用性を示すものです。すなわち、危機介入はそのレベルによって非専門家によっても行えるという点を実践的に明らかにしています。